合格まであれこれ
高校を卒業する18歳のときに、自分の先々の人生を
しっかり読みきれて、示せる人ってどれだけいるんだろう・・。
私は小学校の時に人生を一変させる恩師に出会ったことから
ずっと教師になると決めて、そのまま大学卒業とともに教師の道へ。
転機は教員4年目。担任2年目。
ずっと悩みを抱えていたクラスの子が中途退学の道を選んで
あんまりのショックではじめは涙も出なかったのに
その年の年賀状でその子から
「今の新しい学校で、○○ができるようになりました☆」
って書いてあってそれを読んで、初めて涙が流れたとき。
学校に来ることが一番の道だと信じて疑わなかった私の
ガチガチの価値観を揺るがせた出来事でした。
結婚して埼玉に来たときは、またこちらの教員採用試験を
受ければいいとお気楽に考えていたらダメだったんですね。
健康診断で・・・。
私は耳が少し(じゃないかも)遠くて、でも神奈川県では
ぜんぜんOKだったのに、埼玉ではダメだなんて。
勉強なら努力するという道があるけど、肉体的なハンディなら
どうしようもない。
そして、欲しかった子供にも恵まれなかったのです。
新しい土地で、友達もいないし、仕事もどうしたらいいか
わからないし、子供もできないし、本当に長いトンネルに入りました。
そんな中で知人が司法書士事務所を紹介してくれて
この資格なら、頑張れるかもしれないと思ったのも何年も前。
勉強を始めようとして最初の壁は、高校時代の友人が亡くなったこと。
悩みをずっと抱えて、体調もすぐれないからと言って
遠出はできない彼女のために2時間半かけて出かけて行き
そして、帰宅した私に電話をくれたあの夜。
「えみちゃん。遠くまでごめんね。ちゃんと無事にうちに着いた?」
それが最後の会話になりました。
亡くなる3週間前でした。
彼女が行方不明になって、そしてみつかった時に
どんなにか自分の無力を責めたでしょう。
しばらくは夜も眠れなくなり、何も手につかない日々がありました。
その後病気もして、なかなか思うようにならない自分が
はがゆい日々でした。
やっと勉強に集中できるようになって3年。
合格の文字が遠ざかる気がして、18年は思いつめた挙句
地元の埼玉ではなく、友人のいる札幌まで行って受験してきました。
猫つながりの友人と前夜に大いに遊んで楽しくて楽しくて
「あれ?何しにきたんだっけ?」って思うくらい
リラックスできたのがよかったみたいです。
試験は午前科目の出来が微妙で、それさえクリアできれば
どうにかなりそうだった。
札幌からの帰りの飛行機の中で私は目に見えない何かに
祈りました。
「試験の出来はイマイチだったけど、今の私にはこれが精一杯です。
できなかった分は合格させてもらえたら
精一杯社会貢献することで、お返しをします!!!!」
オババだし、ハンディはあるし、コネもツテもないけれど
私でできることがあれば精一杯取り組みたいと思っています。
それが、羽田に向かう空の上での誓いだから・・・。